お土産ありがとうございます!紅葉・・・の歴史を調べてみました★カープ君も可愛かったです♪伊藤博文説が面白いです('ω')ノ

広島の銘菓を頂戴いたしました🎁感謝🍀

広島の銘菓を戴いてしまいました!こんなにたくさんありがとうございます。甘いものに目がない財形のスタッフたち・・・あまりの美味しさに驚いておりました★ありがとうございます。嬉しい気持ちは山々でございますが、どうぞあまりお気遣いなさいませんように・・・。いらして下さるだけで感謝でございます。

もみじ饅頭の歴史

広島もみじ饅頭が誕生した経緯としては、大まかに分けて2つのエピソードがあるそうです。一つは明治39年の出来事です。「岩惣」という紅葉谷公園内にある旅館にて、和菓子職人の高津常助が紅葉型の菓子の製造を注文されたことがはじまりという説です。もう一つは・・・下の方へスクロールしてみてください!

バリエーションの増加

バリエーションが増加したことも広島もみじ饅頭が有名になった理由の一つです。ブームが訪れたこともあり、まずチーズもみじが1984年に発売されます。それを皮切りに、カスタード入りやチョコレート入りなどの数多くのバリエーションが増加しました🍫

色々歴史を調べると面白いですね!伊藤博文の冗談説等もありました📝

伊藤博文の冗談説☆

もみじ饅頭の起源には伊藤博文がかかわっていたという説があり、今日でも広く流布しているとのことです。

初代総理大臣である伊藤博文が、宮島を訪れた際にそこの茶屋の娘の手を見て、紅葉の形をした菓子を焼くといいだろうと提案したという説。
結果的にそれらを起源として、広島もみじ饅頭が誕生し、最終的に世の中に浸透していったというのは面白いですね♪

現在製造販売されている「元祖もみぢ饅頭」

伊藤博文が岩惣の茶屋で休憩していた折、給仕した娘の手を見て「なんと可愛らしい、もみじのような手であろう。焼いて食うたらさぞ美味しかろう」と冗談を言ったのを岩惣の女将が聞きとめ、饅頭屋がこの話をヒントに考案した・・・

というものです。伊藤は当時から厳島びいきで知られ、たびたび島に滞在していた上(厳島の項目を参照)、当時すでに総理大臣を辞して大勲位にあって「女好きの好々爺」というイメージが民衆の間に確立していたことから、この説は広く受け入れられました。現在でも、大手もみじ饅頭メーカー(例えばやまだ屋:もみじ饅頭の由来 at the Wayback Machine (archived 2013年11月25日))や地元の宮島観光協会(宮島観光協会:もみじ饅頭)が由来として掲げるほど親しまれている説。実際にはそのようなエピソードの記録は公式に残っているわけではないとのことでした。前述の高津常助はこのあたりの状況を熟知していると考えられますが、伊藤とのつながりを認めたことはない(ただし否定したこともない)そうです。

そのため「茶屋の娘へのお色気冗談」説は、あくまで俗説・噂にとどまっています。ただし高津の和菓子屋「高津堂」は伊藤の定宿である岩惣の門前にあり、取引先の岩惣の依頼でもみじ饅頭を考案したのであって、高津と伊藤が互いを認識していた可能性はあるとのこと。またマスコミや記録媒体が発達途上であったこの時代、休暇中の伊藤の冗談まですべて記録することには無理があり、この冗談もすべて創作と決めつけることもできないですね。

とっても興味深いお話でした☺

文章入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

もみじ饅頭(もみじまんじゅう)は、饅頭の一種。もみじをかたどった焼饅頭の一種であり、広島県厳島(宮島)の名産品である。